神戸市指定有形文化財・指定名勝「旧乾邸」。渡辺節設計。
住吉川沿いに山側へ白鶴美術館の手前にある邸宅。
普段、散歩で前を通る時には門が閉まっています。

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秋の特別観覧で大きな門がオープン。

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田辺貞吉(住友銀行初代支配人)、岩井勝次郎(日商岩井)、田代重右衛門(大日本紡績)、小寺源吾(大日本紡績社長)、武田長兵衛(武田薬品工業)、弘世助三郎(日本生命)、伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)、大林義雄(大林組)、野村元五郎邸(野村銀行)などなどなどなど日本経済の中心となる方々が煙都と呼ばれた大阪で成功をおさめ住吉村へ続々とうつってきたそうです。
明治30年代には阪神、阪急、国鉄の3本が走っていたのですから大阪ー神戸間の移動にも不自由しなかったのでしょうね。
その中で建築当時のまま残っているのは阪神間モダニズムと定義される邸宅の中で一番最後に建築された旧乾邸と一番初めに建築された香雪美術館(朝日新聞社創立者村山龍平邸)。

当時設立された観音林倶楽部は現在の経団連につながると言われています。
そうした財界人が地域の文化と教育に重きをおいて創立したのが甲南学園や灘中学校。
山の上にある重厚な建物、甲南病院(夜中はとても怖い)が医療法人ではなく財団法人であることが物語っています。
地域に住む人々が地域のために働き続けて美しく住みやすい街を作ってくれたのですね。

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相続税として国に物納された旧乾邸は文化財としての活用を考え神戸市が買い取ろうとしていました。
その矢先に阪神大震災。
甚大な被害を受け、全壊した和館は残念ながら残っていません。
神戸市も震災復興に予算を割かなければいけないので、購入を見送り、2009年にようやく神戸市の財産となりました。

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車寄せと玄関。

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1階のゲストルーム。
どこを見ても意匠がこらされていてうっとりします。
タペストリーやペルシャ絨毯、ステンドグラスは建築当時のまま残っています。
照明も当時のまま。

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大きなお屋敷が取り壊され、マンションに変わっていく様子をよく目にします。
大きくて古い家の手入れが難しくなり手放すしかなくなった時、多くの人が環境の良い場所で暮らしたいとのぞめばスクラップアンドビルドというのは仕方のないことなのでしょう。
なるだけ地域の財産としてひとつでも多くの文化遺産が残ることを願うと同時にこの街を築いた方々の志を少しでも引き継いでいきたいと思っています。

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